抗生物質療法の歴史
1940年以前 結合組織病を含む殆どの病気は何らかの感染の形によって引き起こされると考えられていた。
1939年ロックフェラー研究所の研究者、アルバート サビン博士は研究用のマウスに病気の動物からの組織を健康な動物に注射する事により慢性関節リウマチを発症させた。同年博士の同僚であったトーマス・マクファーソン・ブラウン博士が、200回の試験の結果、小さな感染源と考えられるものを人間の患者の関節液から培養する事に成功した。これは後にマイコプラズマと名付けられた。ネーチャー誌でのブラウン博士の論文は此れを慢性関節リウマチの原因であると暗示している。
1948年マヨ・クリニックの医師がコーチゾンを分離した。コーチゾン(後にプレドニゾンとして販売された)は炎症性の病気の症状を抑えるので、これが完治と誤解された。主流の医学界はリウマチ性疾患の感染説を放棄した。
1988年ブラウン博士と作家のヘンリー・スキャメルは「ロード・バック」を著して、ブラウン博士が抗生物質療法で沢山の成功を収めた事を記述し、感染理論を復活させた。直ちに古臭く実証されていないと攻撃を受けたが、理論と本はメディアを通じて国民の関心を集めた。
1989年ブラウン博士死去
1991年議会の圧力の基に米国衛生局(NIH)は臨床試験MIRA(Minocycline In Rheumatoid Arthritis)を開始した。MIRA臨床試験は214人の患者と米国内の6箇所の研究センターにより行われた。
1993年ブラウン博士とスキャメルの本で生活を改善できた患者によって「ロードバック財団」が設立された。スキャメルはMIRAの結果を先取りして原作を「The Arthritis Breakthrough (関節炎の敵陣突破)」と名付けて改版した。
1993年MIRA臨床試験の結果が米国リウマチ学会の年次科学総会で発表された。ACRによって過小評価されたので、メディアは大きく取り上げなかった。
1995年MIRA臨床試験の結果が「内科年鑑(Annals of Internal Medicine)にで公表され、ミノサイクリンは慢性関節リウマチの治療に「安全で効果的」であると明言された。
1998年ネブラスカ州でのNIHの3年間にわたる臨床試験はMIRAを改良する事で療法の効果が時間と共に劇的に増大する事を示した。
1998年ロードバック財団とNIHがスポンサーとして行われた強皮症に対するミノサイクリンの臨床試験の結果が、ボストンで行われたリウマチ療法の国際学会で発表され、の臨床試験修了者の中の3分の2が完全寛解に達した。CNNは世界にこの発見を報道した。時を同じくして、ヘンリー・スキャメルの2冊の本が発行された。これはリウマチ性の病気における抗生物質臨床試験の結果を含んでいる”The New Arthritis Breakthrough”と、ハーバードの強皮症臨床試験に基づいた”Scleroderma, The Proven Therapy That Can Save Your Life”である。
1999年ネブラスカ州臨床試験の4年目の結果はミノサイクリンの時間経過と共にその効果が増加し続ける事を示した。
2000年ロードバック財団はスキャメルを代表に選び、全てボランティアの地位に戻した。委員会での表決は全ての印刷物がhttp://roadback.orgからオンラインで無料で手に入れられる事を議決した。オンラインでの掲示板システムにより患者が質問したり、チャットグループを組織したり出来るようになり、サポート・グループが米国、カナダ、海外に劇的に拡大された。